野口遵(のぐち・したがう)の生涯(明治六~昭和十九)とその時代①

平成26年2月15日撮影・野口遵の銅像
      於・宮崎県延岡市旭町6丁目4100番地 旭化成延岡展示センター
 140302・20140215・旭化成創業者野口遵.jpg

野口遵(のぐち・したがう) ※遵は、「したがう」と読むのが正しいが、子供の頃から、「じゅん」と呼ばれていた。

明治六(1873)年七月廿六日、加賀国金沢に誕生。母は幸、父は野口斧吉。長男。

 父・斧吉は、加賀藩老臣八家の一つ横山氏の儒臣であったが、幕末期に昌平黌に学んだ折、長州の高杉晋作と机を並べた仲となり、加賀に帰ってから漢学者として藩の子弟の教育に携わりながら、正義党と呼ばれた勤王派に加わり、禁門の変で佐幕に決した藩の命によって禁獄終身に処せられ、三年七ヶ月間、座敷牢に閉じ込められ、明治1(1868)年の大赦令によって、ようやく出獄でき、北越戦争に藩の探偵として従軍し、翌2年、士籍に登庸された。

 野口遵が生まれる2年前、すなわち、明治4年1月、藤山常一が、佐賀県神崎に誕生していた。
野口遵が生まれる直前の明治6年4月には、師範学校付属小学校の授業が開始されていた。

  十月、伊藤博文は、初代の工部卿に推された。 

  野口遵は、生後まもなく、母の幸に抱かれて上京し、少年時代を、前田家の長屋ですごした。この長屋は、本郷区(今の文京区)弓町であったらしい。本郷赤門の奥にあった前田家の長屋ではなく、今の文京区立第二中学校あたり(地下鉄本郷三丁目駅の西裏手)にあった長屋らしい。

 明治七年、二歳(年齢は数え年、以下同)。

 九月廿二日、日本帝国電信条例が定められた。

加賀風雲録 前田家の幕末維新 (中公文庫)




 明治八年、三歳。

 一月八日、学齢が、満6~14歳と定められた。

 三月廿五日、東京・青森間に電信線全通。

 六月一日、東京気象台、設立。

 明治九年、四歳。

 この年、ベル(アメリカ)が、磁石式の電気を発明。

 明治十年、五歳。

 二月十五日、西郷隆盛らは、兵を率いて鹿児島を発った(西南戦争の始まり)。

 四月十二日、開成・医学の2校を併せて、東京大学と改称(東京大學の創設)。

 九月廿四日、西郷隆盛、自刃(西南戦争の終わり)。

 西南戦争直後、三代目上野喜左衛門は、大きく財をなし、川内川(鹿児島県)流域の広大な田畑・山林を所有し、川内で新しく海運業と製糸工場などを興し、豪商の地位を確立した。

 明治十一(1878)年、六歳。

 三月廿五日、イギリス人W.E.エアトンの指導のもと、藤岡市助、中野初子(はつね)、浅野応輔らの学生たちは、虎ノ門の工部大学校講堂における中央電信局開業式の祝宴で、グローブ電池50個によって、フランス製デュボスク式アーク灯点灯に成功した(のちにこの日が電気記念日とされた)。

 この年、ロンドンのテムズ川沿いに街路灯が設置された。十月十四日、このアーク灯を使用して、サッカーのナイトゲームが行われた。

  しかし、アーク灯は、家庭用に使用されるには強すぎ、寿命も短く、電源装置も高価なことから、使用範囲を広げることができなかった。

 この年、東京府第一中學(府立一中)、現在の文京区本郷に開校。

 遵は、東京師範学校附属小(現・筑波大附属小)で学んだ。

学校教育制度概論 (玉川大学教職専門シリーズ)

新品価格
¥2,310から
(2014/3/2 14:15時点)




 明治十二年、七歳。

 五月、政府は、安積野原野開墾事業、安積疏水工事の開始を許可した。オランダ人技師ファン・ドールンが指導した。

  この年、明治政府は、殖産興業を推進するため、イギリスから、ミュール紡績機3台を輸入し、うち、1台を宮城県に譲与した。宮城県令松平正直は、宮城郡長の管克復に紡績所の建設を委託した。管克復は、紡績機の動力として、水力を選び、三居沢に宮城紡績会社の設立を計画した。

 この年、エジソン(アメリカ)が、白熱電灯を実用化した。

 明治十三年、八歳。

 十一月、安積疏水工事十六橋水門、完成。

 明治十四年、九歳。

 この年、ジーメンス・ハルスケ電車会社は、世界で最初の電車を製造した。

 この年、ゴーラル(フランス)が、変圧器を発明。交流配電が始まった。

 この年、エジソンは、世界初の点灯電灯事業を、ニューヨークで開始した。

 明治十五年、十歳。

 八月、安積疏水、試験通水。

 この年、矢島作郎、藤岡市助、大倉喜八郎、原六郎、三野村利助、柏村信、蜂須賀茂韶らは、発起人となって、国に、企業(東京電燈会社)創立の請願書を出した。

 この年、島津氏は、水力発電所を、薩摩藩の磯庭園に建設した。これが日本初の水力発電所だという説もある。

 明治十六年、十一歳。

 二月十五日、矢島作郎らが前年に国に出していた東京電燈会社設立許可の請願書が、今後、富国強兵に電力は欠かせないという判断のもと、資本金20万円で、会社設立が許可された。

 六月、安積疏水、灌漑開始。安積疏水は、オランダ人技師ファン・ドールンの指導のもと、5年間の短期間で開通した。

  十一月、宮城紡績会社の工場の上棟式が執り行われた。

 明治十七年、十二歳。

五月二日、宮城紡績会社の紡績事業の操業が開始された。東北では最初の機械制の紡績事業であった。

安積疏水百年史 (1982年)

中古価格
¥3,800から
(2014/3/2 14:20時点)




 明治十九年、十四歳。

 三月二日、帝国大学令が公布された。その第一条は「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」となっていた。

 七月五日、東京電燈会社は、企業活動を開始した。仙台の有志の間でも、電灯事業への関心が高まった。

 この年、神田錦町の東京大學予備門を第一高等中学校と改称した。ここに、第一高等学校が、日本の近代国家建設のため必要な人材の育成を目的として設立された。

 野口遵は、東京師範学校附属小を経て、東京府中学(現・都立日比谷高校)に入学したが、乱暴狼藉といたずらで追い出され、成立学舎に転校した。

遵は、子供の頃から喧嘩好きで、常にお山の大将でないと気が済まなかった(森辰二さんの話)という。

成立學舎(設立・廃止年月日未詳)は、明治初期から半ばにかけて、東京に在った、英語をもって主として教育し、上級学校進学を目的とする教育機関であった。成立學舎は、東京大學予備門のそのまた予備校であった。

校舎は神田駿河台にあり、教師は学資稼ぎの大学生アルバイトが多く、設備は殺風景きわまるものであったという。

【史料】 夏目漱石「私の経過した学生時代」

既に中学が前いう如く、正則、変則の二科に分れて居り、正則の方を修めた者には更に語学の力がないから、予備門の試験に応じられない。此等の者は、それが為め、大抵たいていは或る私塾などへ入って入学試験の準備をしていたものである。
 その頃、私の知っている塾舎には、共立学舎、成立学舎などというのがあった。これ等の塾舎は随分汚きたないものであったが、授くるところの数学、歴史、地理などいうものは、皆原書を用いていた位であるから、なかなか素養のない者には、非常に骨が折れたものである。私は正則の方を廃よしてから、暫しばらく、約一年許ばかりも麹町こうじまちの二松学舎に通って、漢学許り専門に習っていたが、英語の必要――英語を修めなければ静止じっとしていられぬという必要が、日一日と迫って来た。そこで前記の成立学舎に入ることにした。
 この成立学舎と云うのは、駿河台するがだいの今の曾我祐準さんの隣に在あったもので、校舎と云うのは、それは随分不潔な、殺風景極きわまるものであった。窓には戸がないから、冬の日などは寒い風がヒュウヒュウと吹き曝さらし、教場へは下駄を履はいたまま上がるという風で、教師などは大抵大学生が学資を得るために、内職として勤めているのが多かった。
 でも、当時此の塾舎の学生として居た者で、目今有要な地位を得ている者が少くない。一寸ちょっと例を挙あげて言って見ると、前の長崎高等商業学校長をしていた隈本くまもと有尚、故人の日高真実、実業家の植村俊平、それから新渡戸にいとべ博士諸氏などで、此の外ほかにも未だあるだろう。隈本氏は其の頃、教師と生徒との中間位のところに居たように思う。又新渡戸博士は、既に札幌農学校を済すまして、大学選科に通いながら、その間に来ていたように覚えて居る。何でも私と新渡戸氏とは隣合った席に居たもので、その頃から私は同氏を知っていたが、先方では気が付かなかったものと見え、つい此の頃のことである。同氏に会った折、
「僕は今日初めて君に会ったのだ」と初対面の挨拶あいさつを交わされたから、私は笑って、
「いや、私は貴君あなたをば昔成立塾に居た頃からよく知っています」と云うと、
「ああ其那そんなことであったかね」と先方むこうでも笑い出されたようなことである

一木喜徳郎『一木先生回顧録』にも、「此処は當時の大學生の内職場所であった」とある。

夏目漱石全集(全10巻セット) (ちくま文庫)

新品価格
¥9,660から
(2014/3/4 18:02時点)




 明治廿年、十五歳。

 八月一日、ドイツの電機メーカーのシーメンスは、日本事務所を、東京築地に設立した。日本の電気設備の需要調査と同社製品の販売を目的としていた。シーメンス製品が初めて日本に持ち込まれたのは文久1年のことで、ドイツ外交使節によって徳川将軍家にシーメンス製電信機が献上されたものであった。

 十一月、東京電燈会社は、当時の日本橋区(日本橋茅場町)にあった火力発電所(25KWエンジン式直流発電機1台)から、電圧210Vの直流三線式をもって、付近の日本郵便会社、東京中央郵便局などに電灯の供給を開始した。

 この年末、東京電燈会社は、火力発電所を東京5箇所に設置する工事を始め、直流送電を行った。
 しかし、旺盛な電力需要の高まりに、交流送電への転換を余儀なくされた。

 この年、仙台では、管克復らが発起人となり、紡績機の水車タービンに発電機を取付けて繁華街に街灯をともす計画を発表した。

東京電灯株式会社開業五十年史 (1936年)

中古価格
¥4,449から
(2014/3/2 14:25時点)




 明治廿一(1888)年、十六歳。第一高等学校、入学。

 この年、管克復と発電事業計画の審査委員四名は、上京して、東京電灯を視察し、仙台藩出身で日本銀行副総裁となっていた富田鐵之助を訪ね、意見を聞いた。富田はこの計画を時期尚早とし、審査委員四名もそれに従ったが、管克復は、自分が経営する宮城紡績会社だけでも点灯したいと考え、三吉電機工場から自家用としてアーク灯1個と電球50個、そして藤岡市助が計画した5きろわっとKWの直流発電機を購入した。六月廿八日、機器が到着し、紡績工場の水車タービン(40馬力)に発電機が取付けられた。七月一日、取水門の上の烏崎山頂のアーク灯を点火し、次いで紡績工場内に50個の電灯を点火した。

  野口遵の少年時代は、日本の初等・中等教育が、漸く充実してきた時期であり、また、発電事業が急速に進展してきた時代であった。

 明治廿三年、十八歳。

 この年、下野麻紡績会社が、水力発電を自家用として行った。この電気は、点灯のほか、揚水、巻上げの動力にも利用された。

 明治廿四年、十九歳。

 この年、電気事業営業者取締法(逓信省訓令第7号)が発令された。これは、府県が電気事業を許可する場合は、逓信大臣の認可を受けた規制によって行わなければならない、とするもので、この訓令に基づいて、電気営業取締規則(警察令第23号)が発令された。これは、警視庁が、逓信省訓令第7号に基づいて定めた規則で、配電線の保安の取締を主とするものであった。

 明治廿五年、廿歳。

 この年、京都市は、琵琶湖の疏水により、蹴上発電所で、出力80KWの発電機2台で、発電を行った。ここに、初めて、水力発電による電気が、営業用に利用された。

 明治廿六年、廿一歳。

 四月、栃木県日光の人が発起人となって、仙台市内に突如として仙台電灯会社創立事務所が開設された。これに驚いた地元の有志は、地元出身者による電機事業を計画し、当時、管克復から宮城紡績会社の営業権を譲り受けていた佐藤助五郎と会合を開いて、独自に仙台電灯会社の設立を決定した。三居沢の先例があったため、水力発電による電力供給が構想された。管克復は、発電所を新たに建設すると莫大な費用がかかるため、宮城紡績会社の水車を電力供給源として用い、電灯事業のみを電灯会社で行うことを提案した。

 この年、東京電燈会社は、200KWの国産大出力交流発電機を備えた浅草火力発電所の建設を開始した(3年後に完成)。

水力発電は仙台から始まった―三居沢発電所物語

中古価格
¥450から
(2014/3/4 17:52時点)




 明治廿七年、廿二歳。

 一月、宮城紡績会社は、社名を、宮城水力紡績製糸会社と改めた。

 三月、宮城水力紡績製糸会社は、三吉電機工場から、30KWの発電機を購入した。

 四月九日、仙台電灯会社は、営業の免許を受け、電柱や電線の架設を開始した。

 七月十五日、仙台電灯会社は、開業した。開業当初の電灯数は、365灯であったが、年内に約600灯に増えた。

 明治廿五~廿七年、カーバイトが、カナダやフランスで開発された。

 明治廿八年、廿三歳。

 この年末までに、仙台電灯会社の電灯数は、供給戸数221、752灯に増えた。

 野口遵と藤山常一は、学生時代から、飲み友達であったという。

 野口遵は、東京帝國大學電気工学科中に在学中の学生時代から、卒業論文制作のため、学生時代から、福島県郡山に建設中の発電所の設計ををしたという。

 明治廿九年、廿四歳。東京帝國大學電気工学科を卒業。

 卒業後、福島県の郡山電燈の技師長として赴任した。

 同年、郡山絹糸紡績(株)沼上発電所(出力300KW)を、猪苗代湖を流れる安積住疏水の沼上滝に建設した。

 明治卅一(1898)年、廿六歳。
 
三月廿二日、父・斧吉(69歳)、死去。父の死去により、遵は、沼上発電所の完成をまたずに東京に戻った。

(つづく)

東西両京の大学―東京帝大と京都帝大 (講談社学術文庫)

中古価格
¥1,140から
(2014/3/2 14:32時点)

















歴史 ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。